アートマーケットの問題は純粋芸術のマネタイズ、そしてアカデミズムとの整合性

nanospectives (taihei) on Twitter

アートマーケットの問題は純粋芸術のマネタイズ、そしてアカデミズムとの整合性。それを投資/還元システムで解決しようとするのが西欧のアートマーケットだとしたら、投資嫌いの日本に定着しないのも無理はない。好きなものを買うという単純な商行為にはレバレッジ要素がなく純粋芸術が発展しにくい。

フェアがつまらなかったという話をよく聞くけど、それは今に始まったことではなくNICAFの頃から変わらずつまらない。日本のそれは例えるならコンセプトモデルの発表のないモーターショーのようなもの。それが楽しめる人はスパーでも八百屋でも同じように楽しめる人達だろうに。

2007年のアート@アグネスは比較的評判よかったけど、それはボイスプランニングの例のパフォーマンスのおかげだろう。それがブランディングになったのなら、稼いだギャラリーは彼等に何かを還元しなくては面白さは発展しない。そういう仕組みが何より重要なのだけど投資を嫌う国民性が足を引っ張る

投資出来ない人に投資をさせようとしても上手くいくとは思えない。だけど「西欧アートマーケットが消費者の投資衝動で補填している部分」の欠落を認識しなければ問題は解決しない気がする。純粋芸術やアカデミズムとの整合性をどうにか投資という発想抜きでアレできないかがアレなんだろうと思う。

日本人がダメだというよくあるアレではなく「自分のいる場所をユートピアにする」という長谷川祐子先生のお話のように、そこにチャンスを見いだしているわけです。中国でも韓国でも大きくなったアートマーケットがここまで日本で閑古鳥なのにはそれなりの理由と、ポテンシャルがある気がしてならない。

大坂秩加



http://www.gallery-momo.com/osaka-profile-jp.html
和のモチーフに白々とした女性の手足が浮かびあがる作品。倒錯的なイメージや因習、因縁といったキーワードが浮かぶ。パッと見、藝大の先輩でもある齋藤芽生の作品にも近しい印象も受けるが、齋藤作品がどちらかというと中二女子の妄想イメージ的だとすれば、大坂作品は昭和モダニストと隠されたエロティシズムを感じさせる雰囲気といえるかもしれない。技術的にはまだ少しツメが足りない部分もあるが、現在修士課程在学中ということもあり、今後の進化が楽しみな作家です。