中野重治「芸術家の立場」

越南亭繰語 (Yokato41) on Twitter

芸術家と職人の対比「職に固有のスキルと、それに伴う責任感とプライドのあるものを職人と呼ぶ。職人は枠の中に安住し、あるいはこの枠を到達目標とする。彼らは枠を破ろうとしないのみならず枠に気づかない。芸術家は、この枠を突破しようとする」

「職人の場合、その努力は何かの結果を約束する。約束された結果への努力が職人の仕事になる。約束されていない結果への努力が芸術家の仕事になる」決して芸術家のほうが上、とっているわけではないので注意

中野が言いたいのは「職人に対しては芸術家といい、芸術家に対しては職人というタイプ。それは「枠」を自覚し越えるようなふりをするが、実際は職人と同じく枠のなかに安住し、しかも職人のような責任をもたない」タイプで、柄谷は、文化人、知識人、オピニオン・リーダー、学者さえ含めている。

学者でもありタレントでもある、というより、正確に言えば、学者でもタレントでもない「きわめて厄介な」ヌエの存在がはびこる。これがメディアの時代の宿命。さて、あなたは(われわれは)この中野重治柄谷行人の批判をどう受け止めるか?

続き<職業としての一人の大工と、職業としての建築家があるわけではない。そういう上下はない…ある人は職業として芸術家になって行ってつまりは職人になる。あるひとは職業として職人になって行ってつまりは芸術家になる。識別に困難はあるが、実際にそれがある>厄介なのはどちらでもない存在、と。