キュレーターなんてテキ屋みたいなもん

上原 拓真 (takumau) on Twitter
黒瀬陽平 (kaichoo) on Twitter
takumau

長谷川裕子の定義でいうキュレーターでいえば、必ずしも美術館でつとめる必要はなく、美術業界に属する必要さえない。重要なのはモノをみる視点と表現力、世の中を変えてやろうという行動力だ。その意味においてキュレーターはあらゆる場所で求められる。そんな人たちと出会うことを楽しみにしている。


kaichoo

岡崎乾二郎はそういうキュレーターのありかたを「テキ屋」と形容した。そしてそれは現状からすればある程度正しい。RT @takumau


takumau

@kaichoo テキ屋ですかwww はじめて知りました。発言のソースがあれば教えてくださいませ。ググっても見当たらずなので。


kaichoo

@takumau おそらく「インターコミュニケーション」のバックナンバーだったはず… 未来の美術館を考える、みたいな特集だったと思います。


kaichoo

しかしいま重要なのは、そういった自称キュレーターたちは、自分の職能がある程度「テキ屋」的なものである、という事実を受け入れることだと思うのです。


takumau

@kaichoo これですかね? InterCommunication「特集:スーパーミュージアム ─ 電子情報時代の美術館」 岡崎乾二郎「美術、美術館、キュレーション」http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100000502


kaichoo

@takumau それです!! しかし万が一記憶違いだったらすみません。


kaichoo

思いっきり露悪的なキュレーター、という存在であっても、今の日本のアートシーンであればいくらか機能するはずなのに、ひとりも現れないのは、おそらくキュレーターについての言説がアクティビスト系のそれに支配されているからなのかな。…いや、べつにいて欲しいというわけではないけれど。


takumau

@kaichoo そういえば思い出してきましたが、私の師匠である新見隆も キュレーターなんてテキ屋みたいなもんだと言ってたような気がします。実際にアクロバティックな奇人でした。


kaichoo

@takumau 新見さん、噂は聞いてます。授業中に踊る人ですよねw しかし彼はやっぱり研究者ですからね…「テキ屋」という言い方は、誰が、どの立場から発言するかによって意味が大きく変わるのです。外部から、当事者性を欠いた状態で発せられてしまえばそれは単なる悪口に過ぎない。


takumau

@kaichoo 踊ったりマジギレしたりいきなり大号泣したり。いつも授業にでるのが本当に怖かったですwww テキ屋という言葉には よいイメージと悪いイメージの両義性を感じました。いずれにせよチェックしてみます。


kaichoo

@takumau ww 念のために、新見さんをdisったわけではないですよ。というかBTで昔書いていた彼の展評は一風変わっていて面白かった。