地域コミュニティとアート

2009年法政大学国際文化学部企画:越後妻有アートトリエンナーレ2009報告

tomoki sakuta (sakutee) on Twitter

越後妻有はもはやアートである必然性はプラットフォームとしての自由(というフィクション)に求められる、みたいな感じに。

左翼の牙城の法政で、かつての革命の闘士のアートプロデューサーが、保守本流の政治家みたいな話を堂々としたというところに今日のシンポの最大の意味があったんだろうなー。

むしろ、普段若年者雇用を研究している社会学の樋口先生が、アートが「純粋な」社会的リレーションシップの構築として目的化する構造について分析していくという流れだった。

北川氏は妻有だけでなく、水都大阪を橋下知事から守り切ったことを引き合いに出しながら「公的なアート事業は批判を一つ一つ乗り越えてこそ」という態度を強調していた。完全に勝者として振舞える状況を手に入れたとも言える。

樋口先生が指摘していた、今のコミュニティアートの構造が孕む問題点についてもっと壇上で議論しても良かったのだけど、そこを客席から @hashimon が質問したのに対し、北川氏は不快感を前面に出して拒否。今日の一番の見所はそこだった。

北川氏の話を要約すると、作家や学生や地域の人たちが皆で「経済的敗者の地域の廃棄」という現実を精神的にソフトランディングさせていく過程を「自由なプラットフォームとしてのアート」を用いてプロデュースし、それはアーティストのためにもなるし、何も問題はない、と聞こえた。

自分としては、それを言い切った北川氏は勝者に相応しい扱いを受けるべきだと感じ、強く拍手を贈りつつも、同時に、勝者も樋口先生の提示した問題点から逃れられるわけではないと感じざるを得なかったのだった。