「好き嫌い」と「良い悪い」と「美術批評」

Twitter - IronNine 「俺は興味ない、俺の好みじゃない」と「くだらない、つ ...

「俺は興味ない、俺の好みじゃない」と「くだらない、つまらない、出来が悪い」をすぐイコールで結ぶのは、もう止めて欲しい。挙句の果てに、自分の近いところだけを見渡して「皆もそう言ってるし」で補強し始めるとか、最悪だわ。

(via はてなブックマーク - j0hnのブックマーク


良悪 - objet

芸術と言えるものに良い悪いという概念はあるのだろうか。
というよりこの世界に。
何事に関しても全体の良し悪しを決めているのは
その筋で力を持っている人であり、又、数である。
それが結果的に世論の良し悪しを決め、それが世界に蔓延る。


今の美術批評の殆どは、単なる個人の好き嫌いを語っているに過ぎません。故に、美術批評家の存在価値が疑われているのでしょう。批評家自身が批評の復権を叫び始めたのは、その現れかもしれません。食い扶持が減っていると。


ただ、現在の美術批評が単なる好き嫌いを語る感想文であるとして、イコール批評崩壊ということにならないでしょう。単に美術批評家が過去の言葉と作品に縛られ、見当違いの作品を時代錯誤な言葉で語っても、それに説得力などあるわけがありません。


ただ、逆に最近の美術批評が存在価値をなくしているのは、良し悪しで語られる「美術」に力が無くなっているからではという可能性も十分にあります。だからこそ批評家自身だけではなく、アートマーケットの側からも「美術批評」の復権が願われているかもしれません。